takeshiの街道を歩く
中山道六十九次(日本橋~草津宿) | ||||
34.贄川宿~奈良井宿(3) | 平成29年10月6日 | |||
奈良井宿は下町から中町、中町から上町に移るところで桝形をなしていて、わかり易い町割りをしている。江戸時代の宿場の姿を求めて奈良井宿を訪れる観光客は多く、リュックサックを背負った外国人の姿も見られるが、日本人観光客は観光バスで押しかけてきて1~2時間滞在して引き上げる方が多いようである。 本陣は中町の中央にあったが、宿場内から少し外れたところに本陣跡を示す石碑が建っているようである。中町の上問屋を務めた手塚家住宅(写真269)は天保11年(1840年)の建築で国の重要文化財に指定され、一階、二階ともに格子がはめられた美しい建物で、「史蹟 明治天皇奈良井宿在所」と刻まれた石碑が建ち、現在は上問屋資料館を開設している。中に入ると、英語が聞こえてきて電話で外国人からの問い合せを受け付けているようで、日本情緒を残す奈良井宿を訪れる外国人観光客が多いことを実感する。 下町には天保8年~14年(1837~43年)に建築された中村家住宅(写真270)が建っており、出梁造りで蔀戸(しとみど)、鎧庇などの特徴を持つ、奈良井宿の町家の典型的な建築様式を伝える貴重な建物である。中村家は塗櫛を創始した中村恵吉の分家にあたる櫛問屋であったというから、中山道を行き来する旅人にも木曽路の土産物として塗櫛を販売していたことであろう。 下町に来ると観光客の数がぐっと少なくるが、宿場の京口には高札場(写真271)が復元されている。高札場の隣には周囲の山からの沢水や湧水を集めた水場が設けられ、飲料水、防火用水として利用された。奈良井宿には6つの水場が整備され、今も水場組合によって維持・管理されているというが、江戸時代には西の鳥居峠を越えてやってきた旅人の喉を潤したことは簡単に想像できる。ここの水場にも徳本の六文字称名塔が道祖神などと共に祀られている。 |
写真269 奈良井宿 上問屋場跡 手塚家 |
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写真270 奈良井宿 中村屋 |
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写真271 奈良井宿 高札場跡 |
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